読む会だより26年6月用
「読む会」だより(26年6月用) 文責IZ
(5月の議論など)
5月の「読む会」は17日に開催されました。
(前月の議論)の所では、【別紙】に関係して共同体社会では貨幣はなくなるということか、という質問がまず出ました。参加者からは、共同的に生産がなされ社会的な欲望に応じた生産が組織されるならば、支出された労働時間は貨幣という物の姿をとる必要はないだろう、という発言がありました。労働時間の短縮が豊かな人間生活に結びつくなら、今のように余暇時間をストレス発散だけのために使うといったこともなくなるのではないか、という感想も出されました。(そのための根本条件が、生産条件である生産手段の共有であり、そこでの「個人的労働力を自分で意識して一つの社会的労働力として支出する自由な人々」どうしの人間関係の形成でしょう。『共産党宣言』のなかでは、この共同体について、「階級と階級対立の上に立つ旧ブルジョア社会に代わって、各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つの結合社会」と表現されています。)
また関連して、社会主義の段階では芸術家等の労働はどうなるのか、社会的労働時間に含まれるのか、という質問が出ました。チューターは、基本的に問題になるのは社会生活の再生産を保証する物質的な労働(生産的労働)ということだから、芸術等は社会的労働時間に含まれるのではなくて、いわば自由な余暇時間に含まれるだろうと答えました。
別の参加者からは、共同社会では総生産物の分配が労働時間によって規制されるということか、という質問が出ました。総生産物の分配については、マルクスが『ゴータ綱領批判』のなかで述べているようにいくつかの条件があるので、次回(今回)紹介することになりました。(末尾に【参考資料】として簡単な説明をつけて紹介します。)
(説明)の所では、日本における本源的蓄積での「地租改正」(現物納から現金納への転換やその高率さ)の役割などが話題になりました。また、イギリスでの「囲い込み」等による農民排除は地主である土地貴族などが行なったのか借地農業者が行なったのか、という質問が出ました。これには第1期と第2期とでは違うのでないかという意見が参加者から出ました。詳しくは今回の第2節のなかで触れられていますが、ざっと見てみると、イギリスでは14世紀頃より従来の封建的荘園制度や農奴制が崩壊して、三圃制の普及とともに独立自営農民層(ヨーマンリ)が現れ、農村は対外戦争で疲弊した没落貴族と豪農(ジェントリ)の地主層、中間層である独立自営農民、そして零細小作農民というように分化します。16世紀の第1次「囲い込み」は、共有地などの牧羊地への転換のために領主ならびに地主層が小作農民の排除のために行ないました。18世紀頃になると4年周期の輪栽農法による農業革命がおこり、ヨーマンリの一部や都市商人層などが長期の借地権(領主特権が及ばないとされた)を利用して大規模な資本主義的農業を始めます。このなかで地主中心の議会を先頭に国家的規模で行なわれた「囲い込み」が18世紀の第2次「囲い込み」です。ここでは零落したヨーマンリも排除の対象になりました。
【富の社会的形態について】
ここ数回やってきた、「商品のもつ価値の内容とその役割」の説明については、前回で一段落とさせてもらいますが(もちろん質問は歓迎です)、第1巻も終わりに近づきましたので幾つかチューターの気にかかっていることに触れていきたいと思います。
今回は「富」のあり方(社会的形態)についてです。
第1巻「資本の生産過程」でこれまで見てきたように、資本主義社会の特徴は、資本家階級による労働者階級の搾取が、「商品」の交換つまり等価交換の外観によって──生産過程での剰余労働の取得が、交換過程で“経済的”行為として行われる等価交換の形式によって──隠蔽されることにあります。ここでは生産“物”が商品として(すなわち使用価値という物的性格ばかりではなくて、価値という社会的性格をも持つ“物”)として現われ、人々の社会生活がその交換によって媒介されるために、人々の生産関係(階級関係)は直接に人間相互の関係として現われずに、商品(つまり“物”)の交換を通じた「資本」の価値増殖として、つまり人々にとっては外的な生産手段という“物の機能”として現われるのでした(資本家もまた諸個人の意図にかかわらず資本の価値増殖機能の遂行者として現われる)。
例えば、封建社会においては農民の自給部分を除くコメは年貢等として支配階級に収奪され、コメは食料といった使用価値の他に「貢納物」という社会的な性格と形態を受け取ります。しかしながら、コメがそのような規定を受けるのはそれらが他人を養うために貢納・収奪されるという人間の社会関係によるであって、コメ自身に“貢納される”という社会的性格があるわけではないことは、誰の目にも明らかです。ところがブルジョア社会の富である「商品」には“交換される”という社会的性格が付着し、この性格にしたがって社会関係が成り立っているために、まずは商品の分析によってこの交換関係を規定している要因が明らかにされねばならないのでした。
さて本題ですが、たとえば『資本論』第1章第1節にはこうあります。
「使用価値は、富の社会的形態がどんなものであるかにかかわりなく、富の素材的な内容をなしている。我々が考察しようとする社会形態にあっては、それは同時に素材的な担い手になっている──交換価値の。」(全集版、P49)
同様なことは『経済学批判』ではこう述べられています。
「富の社会的形態がどうあろうとも、使用価値はつねに、そうした形態にたいしては、さしあたり無関係な富の内容をなしている。……使用価値は、たとえ社会的欲望の対象であり、したがってまた社会的関連のなかにあるとはいえ、すこしも社会的生産関係を表現するものではない。」
「諸商品の交換価値は、じつは同等で一般的な労働としての個々人の労働相互の関係にほかならず、<そうした>労働の独特な社会的形態の対象的表現にほかならないのであるから、労働は交換価値の、したがってまた富が交換価値から成りたつかぎりでは富の唯一の源泉である、と言うのは同義反復である。」(岩波文庫版、P22、P33)
ここで指摘されていることは、富の実体は素材的な富である使用価値とは違うとか、労働における社会関係こそが富だとかいうことではありません。そうではなくてここで言われているのは、第一に、一定の社会関係の中で生み出される諸使用価値(富)は、それらの物質的有用性とは別に、それぞれの社会関係に応じて異なる一定の存在様式(社会的形態)をもつということです。そして第二に、発展した商品社会である資本主義社会においては、素材的な富である使用価値は、交換価値という社会的性格をあわせ持つことで「商品」という独特な富の社会的形態をもつということです。そしてさらに第三には、商品の交換価値の源泉をなす労働は、種々の使用価値を生み出す具体的有用労働ではなくて、それらへの労働支出が共通に社会の総労働の一部分へと還元された抽象的一般的労働(価値形成労働)であるということ、言い換えれば使用価値を生み出す具体的労働が、同時に抽象的労働としては素材的富である諸使用価値に商品という社会的形態を与えるということです──ちなみにこの種々な労働を一般的な労働へと還元するのが価格と貨幣の役割です。
マルクスは次のようにプルードンを批判していますが、富(富一般)という“観念”についても例外ではありません。ブルジョア社会における素材的富をなす諸使用価値には、交換価値という社会的性格が付着するがゆえに、ここでの社会の富は──富はいつでも社会の富ですが──抽象的一般的労働の対象化である商品一般という独特な社会的形態をもつのです。
「プルードン氏は、人間が毛織物やリンネルや絹布を作るということを非常によく理解しました。そして、こんなつまらないことを理解したということは、なんという大きな功績でしょう! プルードン氏が理解しなかったのは、人間は彼らの能力に応じて社会的諸関係をも生産し、その中で毛織物やリンネルを生産するのだ、ということです。それ以上にプルードン氏が理解しなかったのは、その物質的生産力に応じて社会的諸関係を生産する人間は、さらにまた諸観念や諸範疇<定義づけられた諸分類>をも、すなわちこの社会的諸関係そのものの抽象的観念的諸表現をも生産するということです。だから、諸範疇は、それらによって表現される諸関係と同様に、永久的なものではないのです。諸範疇は歴史的な一時的な産物なのです。」(『アネンコフ宛の手紙』、国民文庫P65)
なお、剰余という観念が生産力の増大と関連している限り、富の観念には剰余の観念が含まれているようにチューターは理解しています。
(説明) 第24章 「いわゆる本源的蓄積」 の2回目
第2節 農村住民からの土地の収奪
予定していた第3節、4節については次回に回します。また、今回は他の部分が長くなってしまいましたので、引用は出来るだけ短くさせてもらいます。第2節の要旨については、前回
(2. 本源的蓄積は、封建制の解体のなかで農民の労働条件であり生産手段であった土地を私的に収奪し蓄積してゆく経済外的、暴力的な過程であった)
として取り扱っていますので、引用だけを挙げておきます。
・「資本主義的生産様式の基礎をつくりだした変革の序曲は、15世紀の最後の三分の一期と16世紀の最初の数十年間に演ぜられた。サー・ジェームズ・スチュアートが正しく言っているように「どこでもいたづらに家や屋敷をふさいでいた」封建家臣団の解体によって、無保護なプロレタリアートの大群が労働市場に投げ出された。それ自身ブルジョア的発展の一産物だった王権は、絶対的主権の追求に際してこの家臣団の解体を強行的に促進したとはいえ、けっしてその唯一の原因ではなかった。@
むしろ、王権や議会に最も頑強に対抗しながら、大封建領主は、土地に対して彼自身と同じ封建的権利を持っていた農民をその土地から暴力的に駆逐することによって、また農民の共同地を横領することによって、比べものにならないほどより大きなプロレタリアートを創り出したのである。これに直接の原動力を与えたものは、イギリスでは特にフランドルの羊毛マニュファクチュアの興隆とそれに対応する羊毛価格の騰貴だった。古い封建貴族は大きな封建戦争に食い尽くされていたし、新しい貴族は、貨幣が権力中の権力となった新しい時代の子だった。だから、耕地の牧羊場化は新しい貴族の合言葉になったのである。……
民衆の暴力的な収奪過程は16世紀には宗教改革によって、またその結果としての大がかりな教会領の横領によって、新たな恐ろしい衝撃を与えられた。カトリック教会は宗教改革の時代にはイギリスの土地の一大部分の封建的所有者だった。修道院などに対する抑圧は、その住人をプロレタリアートの中に投げ込んだ。教会領そのものは大部分は国王の強欲な寵臣に与えられるか、または捨て値で投機師的な借地農業者や都市ブルジョアに売り渡され、彼らは旧来の世襲領民を大ぜい一緒に追い出して、領民たちの農場をひとまとめにした。法律によって貧困農民に保証されていた教会十分の一税の一部分の所有権は、断わりなしに没収された。「至る所に貧民がいる」、エリザベス女王はイングランドを巡行した後でこう叫んだ。……
名誉革命<1688年>は、オレンジ公ウィリアム3世といっしょに地主的および資本家的利殖者たちをも支配者の地位につけた。彼らは、それまでは控えめにしか行なわれなかった国有地の横領を巨大な規模で実行することによって、新時代の幕をあけた。これらの地所は贈与され、捨て値で売られ、または直接的横領によっても私有地に併合された。すべてが法律上の慣例などは少しも顧慮しないで行なわれた。このように詐取的に横領された国有地は、共和革命<1649年のクロムウェルらのピューリタン革命のこと>時になくならなかったかぎりでの教会からの盗奪地といっしょになって、イギリスの寡頭支配の今日の王侯的所領の基礎をなしている。ブルジョア的資本家たちはこの処置を助けたのであるが、その目的は、なかんずく、土地を純粋な取引物に転化させること、農業大経営の領域を拡大すること、農村から彼らへの無保護なプロレタリアの供給を増やすことなどにあった。そのうえに、新たな土地貴族は、新たな銀行貴族や、孵化したばかりの大金融業者や、当時は保護関税に支持されていた大製造業者たちの当然の盟友だった……。
共同地──いま考察した国有地とは全く別なもの──はひとつの古代ゲルマン的制度だったのであって、それが封建制の外皮のもとで存続したのである。すでに見たように、この共同地の暴力的横領が、多くは耕地の牧場化を伴って、15世紀末にはじまり16世紀にも続けられるのである。しかし、当時はこの過程は個人的な暴行として行なわれたのであって、これにたいして立法は150年にわたって無駄な抗争を続けたのである。18世紀の進歩は、法律そのものが今では人民共有地の盗奪の手段になるということのうちに、はっきりと現われている。といっても、大借地農業者たちはそのほかに彼ら自身としての小さな個人的な方法も用いるのではあるが。この盗奪の議会的形態は、「共同地囲い込み法案」という形態であり、言い換えれば、地主が人民共有地を私有地として自分自身に贈与するための法令であり、人民収奪の法令である。……
一方では独立のヨーマンに代わって任意借地農業者、すなわち1年の解除予告期間を条件とする比較的小さい借地農業者で地主の恣意に依存する隷属的な一群が現われたが、他方では、国有地の横領とならんで、ことに、組織的に行なわれた共同地の横領が、かの18世紀に資本借地農場とか商人借地農場とか呼ばれた大借地農場の膨張を助けたのであり、また農村民を工業のためのプロレタリアートとして「遊離させる」ことを助けたのである。……
19世紀には、もちろん、農耕者と共同地との関連の記憶さえもなくなってしまった。……
最後に、農耕者から土地を取りあげる最後の大がかりな収奪過程は、いわゆる地所の清掃(──実際には土地からの人間の掃き捨て)である。これまで考察してきたいっさいのイギリス的方法は、この「清掃」において頂点に達した。前章で現代の状態を述べたときに見たように、もはや掃き捨てられるべき独立農民もいなくなった今では、ついに小屋の「清掃」にまで進んできたので、農業労働者たちは自分の耕す土地そのものの上にはもはや自分の住居に必要な空間を見いださないのである。……
教会領の横領、国有地の詐欺的な譲渡、共同地の盗奪、横領と容赦のない暴行とによって行なわれた封建的所有や氏族的所有の近代的私有への転化、これらはみなそれぞれ本源的蓄積の牧歌的な方法だった<むろん皮肉です>。それらは、資本主義的農業のための領域を占領し、土地を資本に合体させ、都市工業のためにそれが必要とする無保護なプロレタリアートの供給をつくりだしたのである。」(全集版、P945~)
このような15世紀から18世紀にかけてのイギリスでの土地をめぐる諸関係の変化には、それぞれの時期において三圃制や輪栽(ノーフォーク)農法といった“農業革命”による土地の生産力の増大が背景にあったと思われます。
また「共同地」(日本では入会〔いりあい〕権として残った)については、「古代ゲルマン的制度」とか「氏族的所有の近代的私有への転化」といった指摘が重要です。原注でのミラボーからの引用で、「農奴でさえも、たとえ貢租の義務を負う所有者だったにせよ、自分の家に付属する零細地の所有者だっただけでなく、共同地の共同所有者でもあった」(同、P938)と言われているように、それは古代的=奴隷制の残滓というよりも、“最初の”階級社会であったアジア的生産様式の残滓と思われます。
【参考資料】 『ゴータ綱領批判』(1875年)、国民文庫版(P23~28)より
「まずこの「労働収益」という言葉を、労働生産物という意味にとろう。そうすれば、協同組合的な<共同体的な>労働収益とは社会的総生産物である。
ところで、この社会的総生産物からは、次のものが控除されなければならない。
第一に、消耗された生産手段を置き換えるための補填分。
第二に、生産を拡張するための追加部分。
第三に、事故や天災による障害に備える予備積立または保険積立。
「労働の全収益」中からこれらのものを控除することは経済上の必要であって、この控除の大きさは、持ち合わせている手段と力に応じて、また一部は確率計算によって決定されるべきものであるが、けっして正義によって算定できるものではない。
総生産物の残りの部分は、消費手段としての使用に充てられる。」(太字は原文、以下同じ)
ここで言われているように共同体的社会においても、人々は生産したものを全て消費するわけにはいきません。というのは、次の生産のために必要なもの(生産手段として利用されるもの)を残しておかなければ社会の再生産はできないからです。例えば翌年度の生産手段となる種もみを今年度のうちに食べてしまうことは可能ですが、しかしこの場合にはその分だけ再生産は縮小することになるのであって、こうしたことを継続することは不可能です。
こうして、総生産物のうち消費手段として利用しうるのは、生産手段として生産されたものや予備財源となる部分を差し引いたものということになります。
「だが、各個人に分配される前に、この中からまた、次のものが控除される。
第一に、直接に生産に属さない一般管理費。
この部分は最初から、今日の社会に比べれば極めてひどく縮小され、そして新社会が発展するにつれてますます減少する。
第二に、学校や衛生設備等々のようないろんな要求を共同で満たすために充てる部分。
第三に、労働不能者等のための元本。つまり、今日のいわゆる公共の貧民救済費にあたる元本。
ラサールの影響で、綱領は偏狭にも「分配」だけしか眼中に置いていないが、ここで初めてこの「分配」、すなわち協同組合の個々の生産者の間に分配される消費手段の部分に達する。
私的個人としての生産者から失われるものは、社会の一員としての彼に、直接間接、役立つのではあるが、「労働の収益」は、すでにこっそりと「削減された収益」に変わっている。」
一般管理費というのは、ブルジョア社会ではもっぱら官僚・行政あるいは警察機関などが担ってきたような、直接に生産に属さずとも必要とされる社会関係の維持調停のための管理費、たとえば計画・集計や会議、裁判等々の作業やその手段の生産に要する部分です。
はじめの生産手段の部分にせよ、ここでの病院設備等々にせよ、これらの控除部分は、「私的個人としての生産者から失われるものは、社会の一員としての彼に、直接間接、役立つ」のですが、しかし生産者としての諸個人に直接分配されるものではありません。
そのうえで、社会の共同生産物である総生産物は、「個人的労働量」すなわち労働時間に応じて、「個々の生産者は、彼が社会に与えたのと正確に同じだけのものを──控除をしたうえで──返してもらう」ことに、つまり商品等価物の交換と同じ原理によって「自分が一つの形で社会に与えたのと同じ労働量を別の形で返してもらう」ことになります。注意すべきことは、ここでは諸個人はその不平等な能力のままで労働時間という同じ尺度で分配されるということです。このことが不可避なのは、共同的社会では諸個人は平均的一般的個人として存在するのではなくてまさに諸個人のままで共同生産者として結合する結果だからです。
「生産手段の共有を土台とする協同組合的社会の内部では、生産者はその生産物を交換しない。同様にここでは、生産物に支出された労働がこの生産物の価値として、すなわちその生産物に具わった物的特性として現われることもない。なぜなら、いまでは資本主義と違って、個々の労働は、もはや間接にではなく直接に総労働の構成部分として存在しているからである。「労働収益」という言葉は、今日でも意味が曖昧だからしりぞけるべきものだが、こうして全くその意味を失ってしまう。
ここで問題にしているのは、それ自身の土台の上に発展した共産主義ではなくて、反対に今ようやく資本主義社会から生まれたばかりの共産主義である。したがって、この共産主義社会は、あらゆる点で、経済的にも道徳的にも精神的にも、その共産主義社会が生まれ出てきた母胎たる旧社会の母斑をまだ帯びている。したがって、個々の生産者は、彼が社会に与えたのと正確に同じだけのものを──控除をしたうえで──返してもらう。個々の生産者が社会に与えたものは、彼の個人的労働量である。例えば、社会的労働日は個人的労働時間の総和から成り、個々の生産者の個人的労働時間は、社会的労働日のうちの彼の給付部分、すなわち社会的労働日のうちの彼の持分である。個々の生産者はこれこれの労働(共同の元本のための彼の労働分を控除したうえで)を給付したという証明書を社会から受け取り、この証明書をもって消費手段の社会的貯蔵のうちから等しい量の労働が費やされた消費手段を引き出す。個々の生産者は自分が一つの形で社会に与えたのと同じ労働量を別の形で返してもらうのである。
ここでは明らかに、商品交換が等価物の交換であるかぎりでこの交換を規制するのと同じ原則が支配している。<しかし>内容も形式も変化している。なぜなら、変化した事情の下では誰も自分の労働の他には何も与えることができないし、また他方、個人的消費手段の他にはなにも個人の所有に移りえないからである。しかし、個人的消費手段が個々の生産者の間に分配される際には、商品等価物の交換と同じ原則が支配し、一つの形の労働が別の形の等しい量の労働と交換されるのである。
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だから、ここでは平等な権利は、まだやはり──原則上──ブルジョア的権利である。もっとも、もう原則と実際とが衝突することはない。ところが、商品交換の下での等価物の交換は、単に平均として存在するだけで、個々の場合には存在しないのである。
こんな進歩があるにもかかわらず、この平等な権利はまだつねにブルジョア的な制限に付きまとわれている。生産者の権利は生産者の労働給付に比例する。平等は、等しい尺度で、すなわち労働で測られる点にある。だがある者は、肉体的または精神的に他の者に優っているので、同じ時間内により多くの労働を給付し、あるいはより長い時間労働することができる。そして労働が尺度の役をするには、長さか強度かによって規定されなければならない。そうでなければ、それは尺度ではなくなる。この平等な権利は、不平等な労働にとっては不平等な権利である。誰でも他の人と同じく労働者であるにすぎないから、この権利は何の階級区別をも認めない。しかしそれは労働者の不平等な個人的天分と、したがってまた不平等な給付能力を、生まれながらの特権として暗黙のうちに承認している。だからそれは、内容から言えばすべての権利と同じように不平等の権利である。権利はその性質上、等しい尺度を使う場合にだけ成り立ち得る。ところが、不平等な諸個人(そしてもし不平等でないなら別々の個人ではないだろう)を等しい尺度で測れるのは、ただ彼らを等しい視点の下に置き、ある一つの特定の面からだけこれを捉えるかぎりにおいてである。例えばこの場合には、人々はただ労働者としてだけ考察され、彼らのそれ以外の点には目は向けられず、他のことは一切無視される。さらに、ある労働者は結婚しており、他の労働者は結婚していないとか、ある者は他の者より子供が多い等々。だから、労働の出来高は等しく<同じ労働を負担し……岩波文庫訳>、したがって社会的消費元本に対する持ち分は平等であっても、ある者は他の者より事実上多く受け取り、ある者は他の者より富んでいる、等々。全てこういう欠陥を避けるためには、権利は平等であるよりも、むしろ不平等でなければならないだろう。
しかしこうした欠陥は、長い生みの苦しみのあと資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会の第一段階では避けられない。権利は、社会の経済構造およびそれによって制約される文化の発展よりも高度であることは決してできない。
共産主義社会のより高度の段階で、すなわち諸個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり、それとともに精神労働と肉体労働との対立がなくなった後、労働が単に生活のための手段であるだけでなく、労働そのものが第一の生命欲求となった後、諸個人の全面的な発展に伴なって、また彼らの生産力も増大し、共同的富のあらゆる泉が一層豊かに湧き出るようになった後──その時初めてブルジョア的権利の狭い視野を完全に踏み越えることができ、社会はその旗の上にこう書くことができる──各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて! 」
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