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資料 『経済学史』での久留間鮫造による商品生産と価値についての説明

  【資料】 『経済学史』 (岩波全書)のなかで久留間鮫造が指摘している、「 商品生産の特殊な性格と価値の本質 」についての注釈   ( 1月の「読む会」の後でDさんより、商品生産と価値の本質については『経済学史』での久留間鮫造の注釈などを紹介すると分かり易いのではないか、との指摘を受けました。(久留間氏は82年に亡くなった法政大の元教授。主著は『マルクス経済学レキシコン』、ほかに『価値形態論と交換過程論』、『貨幣論』など) 確かにその通りで、チューターもそこでの説明に大きな影響を受けています。ちょうどかつて「読む会」でホームページをもっていた時に彼の後2者の抜粋を作っており、そこにこの注釈も入っていましたので参考資料として紹介します。)       この注釈 が付けられている本文は、次のとおりです。 「 商品生産は、私有財産制度のもとに相互に独立化されている私的生産者によって行われる社会的生産である。直接には私的な彼らの労働は、その生産物の交換の関係においてはじめて独自の社会的形態を獲得する。すなわち彼らの労働の生産物は、それらの交換の関係において、使用価値としての千差万別の姿にもかかわらず価値として相互に等置されるのであるが、これによって彼らの労働もまた、使用価値を生産する労働としてのあらゆる現実の差異にもかかわらず、価値を形成するかぎりにおいてはそれらの差異を捨象されて、無差別一様な人間労働、すなわち人間労働力のたんなる支出の一定量に他ならないものとされるのである。そしてこの一般的な人間労働の結晶としての「価値」の形態において ──生産物の価値というこの物的な形態において──はじめて商品生産者の労働は、社会がその欲望の充足のために支出する総労働時間中の一定量を意味するものとなりうるのである。 (*注)」 (『経済学史』岩波 全書 、81頁)   ここに以下のような商品生産の特殊な性格と価値の本質についての注釈が入っています。   (*注)「 商品生産の特殊な性格と価値の本質とについての以上の説明はあまりに簡単で、多くの読者には理解しがたいかと思われるので、以下にいささか立ち入った説明をつけ加えることにしよう。もともと原論で解説されるべきことであって、学史の講義にとっては余りに話の本筋からかけ離れること...

読む会だより26年1月用

  「読む会」だより(2 6 年 1 月用) 文責IZ   ( 12 月の議論など)   12月の「読む会」は新しく2名の参加者を迎えて14日に開催されました。(「広島・資本論を読む会」のブログの移転先は、MSのエッジで検索すれば表示されるようになりましたが、グーグル他ではまだ直接にアドレスを入れる必要があります。) 新しい参加者が増えたこともあり、冒頭でチューターが資本論を読むにあたって最も分かりにくいであろう商品の「価値」について、大まかな説明をしました(【復習1】も参考に願います)。当日は価値が支出労働量であることは分かっているものとして、生産 “物”が価値(支出労働時間)をもつということの不思議さに焦点を当てたのですが、価値の説明としては説明不足でした。商品の価値の内容が、抽象的なあるいは社会的に同等な人間労働である点について、ここでもう少し補足しておきます。   『資本論』の初版では(引用が短くて済むのでこちらを利用するだけですが)、商品の価値についてこう指摘されています。 ・「それゆえ、諸商品は、それらの交換関係からは独立に、またはそれらが諸交換 ─ 価値 として 現われる 場合の形態からは独立に、単なる 諸価値 として考察されるべきなのである。 諸使用対象または諸財貨としては、諸商品は 物体的に違っている 諸物である。これに反して諸商品の 価値 存在は諸商品の 統一性 をなしている。この統一性は、自然から生ずるのではなくて、社会から生ずるのである。いろいろに違う諸使用価値においてただ違って表わされるだけの、 共通な社会的な実体 、それは ──労働である。 諸価値としては諸商品は結晶した労働より他の何ものでもない。 ……」(国民文庫版、P24) ・「 ……生産的な活動の被規定性を、したがってまた労働の有用的な性格を無視するならば、労働に残っているものは、それが 人間の労働力の支出 であるということである。裁縫労働と織布とは、質的に違う生産的な活動であるとはいえ、両方とも 人間の 脳や筋肉や神経や手などの生産的な支出なのであって、この意味において両方とも 人間労働 である。 それらは、ただ、人間の労働力を支出する二つの違う形態でしかないのである 。もちろん、人間の労働力そのものも、あの形態やこの形態で支出さ...